文永元年10月(西暦1264年)日蓮聖人が、父祖の供養のため当地へ帰られたおり、海に向かって祈られ、南無妙法蓮華経のお題目を書かれました。すると波の上にその文字が現れ、同時に多数の鯛が寄り集まって、そのお題目を食べ尽くしてしまったということです。村民達は奇跡に驚き、以来、鯛を聖人の生き姿と考えて信仰し、殺傷禁断の聖地とし、数百年間餌を供して守護し続けてきました。現在では国の特別天然記念物に指定されております。
その鯛に因みまして大正時代に町内の「鈴木屋洋物店」店主、鈴木貞作さんという方が観光地に相応しい銘菓をと提案し、天津の「廣木堂」さん(現在は残念ながら製造されていません)で 「小湊名物 元祖 鯛焼煎餅」 として作られたのが鯛せんべいの始まりです。鯛に因んだと言いましても地元「妙の浦」の鯛は禁漁ですので使えません。現在と違って流通の発達していなかった当時の事、思案の末、せめて形だけでもと、妙の浦の朝日輝く波間に跳ねる大鯛を模して考え出されました。当時は小麦粉に砂糖を加え、鯛の鱗に見立てた白胡麻をまぶして焼いていたそうです。後に口あたりをよくするために鶏卵を加え、白胡麻をけしの実に変えるなど試行錯誤が繰り返され戦後、現在の姿に落ち着きました。
弊店では、江戸時代文化年間より、当地にて代々紺屋(こうや・・・染物屋)を営んで居りましたが、 大正末から昭和初期、先々代英一が14歳の頃、廣木堂さんへ奉公し、鯛せんべいの技術を修行、暖簾分けを許され、当地にて「廣木堂支店 小湊 鎌田製菓舗」として創業し現在に至るまで引き継いでおります。
今後も皆様に愛される南房総の銘菓として、ふるさとの懐かしく変わらぬ味を守り続けてまいります。どうぞよろしくお願いいたします。